ねるちゃんが出演したドラマ『かんざらしに恋して』の撮影が行われた、長崎県島原市を散策しました。
■巡礼ルート[巡礼地図]
・島原市内巡礼(島原駅→島原駅)[自転車ルート🚲]
【島原市の概要】
長崎県島原市、島原半島の東、雲仙普賢岳のふもとにある、町のあちらこちらに湧水が湧く自然豊か、風光明媚な町です。
旧城下町の街並みが残る観光都市で、島原城築城と同時にできた扶取七十石以下の武士の屋敷跡は、7つ町筋が碁盤の目のようにできており、古き良き日本文化を伝え受け継ぐ城下町として、今もその姿を残しています。
また古くから「水の都」と呼ばれており、1985年に環境庁(現在の環境省)が選定した「昭和の名水百選」や、1996年に国土庁(現在の国土交通省)が認定した「水の郷百選」にも指定されています。市内には70ヵ所を超える湧水地があり、その湧水量は一日20万トンといわれています。町中の至る所で美しい湧水が湧き、民家の庭先や道路沿いを清らかな水が流れ、鯉が悠々と泳ぐ姿は、島原市の日常の風景に溶け込んでいます。
島原市の公式キャラクターは、「島原守護神しまばらん」です。漫画「妖怪ウォッチ」の作者、小西紀行さん(島原市出身)が、島原が誇る“湧水”の水滴と、“かんざらし”の団子のモチモチ感をあわせてデザインしたそうです。
「かんザラシ」は、非公式のしまばらPRキャラクターです。島原名物”かんざらし”からうまれた白玉アザラシだそうです。
ねるちゃんもお気に入りで、公式ブログに「かんザラシ」のマスコットの写真を投稿しています。






【島原鉄道】
島原市へは、諫早駅から島原鉄道を利用します。私は途中の大三東(おおみさき)駅で途中下車したかったので、大三東駅までの切符(¥1,290)を購入して乗車しました。大三東駅まで約1時間かかります。
諫早駅を出発してしばらくすると下校時間だったようで、学生さん達で車内が混雑してきました。学生さん達は学校から指導されているのかはわかりませんが、空席があるのに通路に立って乗車していました。列車が走るにつれて学生さん達は次第に下車していき、のどかなローカル線の風情に戻ってしばらくすると、大三東駅に到着しました。


【大三東駅】
大三東(おおみさき)駅で、ねるちゃんの「西九州新幹線かもめ」のポスターが撮影されました。
「大切な人のことを、思い出しちゃうかもめ。」
また、ねるちゃんの芸能界の大親友の上白石萌歌さんが、「キリンレモン」CMの撮影を行っています。
大三東駅は、「日本一海に近い駅」の一つです。他には、愛媛県伊予市の「下灘駅」、新潟県柏崎市の「青梅川駅」、横浜市鶴見区の「海芝浦駅」あたりが有名ですね。ちなみに大三東駅は満潮の時はホームのすぐ側まで海なのですが、干潮の時は有明海の干潟が広がっています。(私が訪問した時は干潮でした。)
屋根も柵もない開放的なホームからは一面に広がる有明海を眺めることができ、干満の差が日本一大きい海が作り出す遠浅の干潟が美しい砂模様を描きます。駅舎には、「幸せの黄色いハンカチ」のガチャガチャ(¥500)が設置してあり、旅の思い出に願い事や大切な人へのメッセージなどを、黄色いハンカチに書いて幸せ祈願することができます。
列車は1時間に1本しか走っていないので、大三東駅で降りたら次の列車が来るまで、写真を撮ったり、ホームに座って海を眺めたりして、ゆっくり過ごしましょう。






・島原市内巡礼(島原駅→島原駅) [自転車ルート🚲]
【島原駅】
大三東駅から島原駅まで、3駅(約10分、¥280)です。島原駅から大三東駅に行く方は、島原駅で「おうみさきっぷ」¥1,000を購入するといいでしょう。①島原駅⇔大三東駅 往復乗車券、②幸せの黄色いハンカチ、③島原駅 駐車券(4時間無料)がセットになっています。
「おおみさきっぷ リモート祈願編」というのもあって、記入したハンカチを島原鉄道へ送ると、島原鉄道の社員さんが大三東駅へ出向いてハンカチを駅に取り付けて、幸せを祈願してくれるそうです(お求めはこちらから)。島原鉄道のキャラクターには、鉄道むすめ『神代みさき』(Koujiro Misaki)が就任しています。各駅の駅名標などいたるところに、みさきさんがいます。また、「鯉駅長のさっちゃん」というイメージキャラクターもいるようです。島原駅には、ねるちゃんのサイン入りの「西九州新幹線かもめ」のポスターが掲示されていました。
島原駅から「銀水」までは距離がある(徒歩20分)ので、駅の観光案内所で「しまばらめぐりんチケット」(島原城天守閣+湧水庭園「四明荘」入館券込みで1,000円)を購入して、「めぐチャリ」(しまばらめぐりんチケット提示で550円)を借りるといいでしょう。






【銀水:『かんざらしに恋して』ロケ地】
【銀水①:『かんざらしに恋して』ロケ地】
大正四年に入江ギンさんが始めた元祖かんざらしのお店「銀水」。昭和三十年に田中ハツヨシさんがお店を引き継ぎ、おふくろさんのような親しみやすい人柄に惹かれ、多くの人々が「かんざらし」を食べに店に通いました。惜しまれながらも閉店した「銀水」は二十年近い時を経て、観光客と地域住民の交流の場として新たな歴史をスタートさせました。
「かんざらし」は、みずみずしくモチモチした食感のお団子と、甘過ぎず最後まで飲み干せる蜜で食べるスイーツです。名水百選のまち雲仙島原で100年にわたり伝承されてきた起源をひも解き、伝統を重んじた味を追求しました。一口食べると、懐かしさが込み上げてくる素朴で美味しい郷土の味です。
銀水セット(¥1,100)を、添え菓子を島原駄菓子で頂きました。とても美味しかったです。




ドラマ『かんざらしに恋して』あらすじ
https://www.city.shimabara.lg.jp/page4707.html
桐畑瑞樹(貫地谷しほり)は目の前に置かれた不思議なお菓子を眺めている……。「かんざらし」と言うものらしい。
長崎県島原市にはこの「かんざらし」の名店といわれる「銀流」というお店があったのだが、20年前に閉店。それを今によみがえらせるため、地域おこし協力隊として市に雇われたのが瑞樹だったのだが……。
島原市おもてなし課の職員で「銀流」担当になった八田(遠藤憲一)は調子いいばかりで前任者からちゃんと引き継ぎをしていないし、完成しているはずの銀流のリニューアル工事は遅れに遅れているし、市長(前野朋哉)は無理難題ばかり言うし、バイトの舞香(長濱ねる)は腹黒いし、次々に降りかかってくる難題に、瑞樹は右往左往するばかり。
果たして、銀流は無事にリニューアルオープンできるのか?
【銀水②:『かんざらしに恋して』ロケ地】
「銀水」は、ねるちゃんが出演したドラマ『かんざらしに恋して』に登場する「銀流」のモデルになった店で、2018年11月に実際にロケ地としても使われました。ちなみに、ねるちゃんが初出演したNHKドラマです。ねるちゃんが演じるのは、「銀流」で働く腹黒い性格のアルバイト店員・保科舞香です(ねるちゃんが、腹黒い役を演じるのは貴重かもしれません!?)。貫地谷しほりさん、遠藤憲一さん、樫山文枝さん、和泉ちぬさん、前野朋哉さん、宮﨑香蓮さんらと、共演しています。見逃した方もNHKオンデマンドで、2025年1月28日まで視聴可能(¥220)なので、ぜひご視聴くださいね。




ねるちゃんは、遠藤憲一さん(エンケンさん)から貰ったおにぎりを、記念に冷蔵庫で大事に保管していましたw
今回のドラマは長濱個人としての出演であり、欅坂46のメンバーが誰もいない現場だったため、撮影期間中はかなり緊張していたという。
https://news.mynavi.jp/article/20181217-742254/
そんな長濱に対して、遠藤は撮影の合間におにぎりを手渡した。長濱が「なんでおにぎりをくれたんだろう?」とポカンとしていると、「今日はサンドウィッチの気分だったから、食べない方のおにぎりをあげるよ。若いからよく食べなさい」と遠藤。
遠藤には、夜にサンドウィッチとおにぎりの両方を購入し、翌朝にその日の気分で食べる習慣があるらしい。おにぎりをもらった長濱は「それがすっごいうれしくて!」と喜び、「あのエンケンさんにおにぎりをもらうことって、もう人生でないですよね?」と興奮気味に語った。
しかし長濱は、遠藤からもらったおにぎりを「これは記念やから食べちゃいかん!」と思い、1カ月ほど経っても自宅の冷蔵庫の中で保管していると明かした。このエピソードを聴いたリスナーからは「好きな子からチョコをもらった男子と一緒じゃないですか」とツッコまれ、長濱は思わず爆笑していた。
【浜の川湧水】
「銀水」のすぐ隣に、「浜の川湧水」があります。綺麗な水がコンコンと湧き出ていて、とても素敵な場所です。4つの区画に区切られた洗い場があって、食料品を洗うところ、食器を洗うところなど、各用途によって上から順々に水を利用していくような仕組みになっており、現在もそのしきたりが守られています。現在みられる島原市内の湧水の多くは、1792(寛政4)年の雲仙岳噴火に伴う群発地震による地殻変動によって誘発されたものといわれています。
ねるちゃんは『かんざらしに恋して』の撮影期間中、「浜の川湧水」の湧き水をホテルに持ち帰って飲んでいたのかもしれません?
ソロでドラマに出演するのは今回が初めてとなる長濱は会見で「お話をいただいたときはすごく不安だったんですけど、初日から皆さんがすごく優しくあったかく接してくださって。2週間くらいの撮影だったんですけど、最後は寂しくてホームシックみたいな気分になりました」と話す。
https://natalie.mu/music/news/315215
また撮影期間中、ロケ場所近くの湧水場から湧き水をホテルに持ち帰って飲んでいたというエピソードで貫地谷を驚かせ、スーパーで購入した刺身が安くておいしかったと声を弾ませるなど、楽しかった島原での撮影を振り返った。


【湧水庭園 四明荘】
「湧水庭園 四明荘」で、ねるちゃんの「西九州新幹線かもめ」のポスターが撮影されました。
「たまにはゆっくりするのも、大事かもめ。」
明治後期から大正初期ごろに伊東元三氏(当時開業医師)が別邸(宅地187.8坪、木造瓦葺約40坪)として建築され、四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられました。庭園は昭和初期に禅僧を招いて造られたと言われ、色とりどりの鯉が泳ぎ菖蒲や苔や木々が季節ごと彩りを添えてくれる、1日に約3,000トンもの湧水が自噴する池があり、国の登録有形文化財・記念物となっています。水が透明すぎて「鯉が宙に浮いているようだ!」と海外で話題になるほどです。池の上へ張り出すL字型の縁側があり、部屋と庭が一体化した優美な景観が広がっています。
ねるちゃんも座った縁側に座って、ゆっくりしてきました。池の湧水の透明度が、ハンパなかったです!




【島原城】
この地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破したところです。この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入封した松倉重政が島原城を築きました。1618(元和4年)着工、4~7年の歳月を経て完成。同時に島原城下町も整備したといいます。破風をもたない層塔型総塗込の五層の天守閣を据える本丸。北へ二の丸と三の丸を配置して要所を三層櫓で固め、外郭は4キロにわたり矢狭間をもつ練塀で取囲みました。四万石の大名には過分な城です。ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られます。
以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と4氏19代の居城となりました。その間、1637年(寛永14年)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、1792年(寛政4年)島原大変時には打続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。明治維新で廃城になり、払下げ・解体されましたが、島原市民の夢である御城復元への取組みが長年続きました。1964年(昭和39年)天守閣が復元するなど、次第に昔の面影を取戻しつつあります。




【島原武家屋敷】
ここ一帯に武家屋敷(徒士[かち]屋敷)があり、松倉重政が島原城を築いた時に、下士(かし)をまとめて住まわせました。(上士[じょうし]は城内に取り込んでいます)。一軒一軒の屋敷には境界の塀がなく、隣家の奥までまる見えで鉄砲の筒の中を覗いたようだというので、鉄砲町と呼ばれていました。鉄砲組すなわち歩兵の居住地帯であったからでもあります。
城に近い方から、下ノ丁(したのちょう)、中ノ丁(なかのちょう)、古丁(ふるちょう)[ここまでが松倉時代分]、下新丁(したじんちょう)、上新丁(うわじんちょう)、さらに新建(しんだち)と江戸丁(えどちょう)、新屋敷などを配置しました。いずれも長さ400メートルの屋敷町です。それぞれ約90坪の屋敷に建坪約25坪で、屋根はわら葺きです。約700軒ありました。
町を流れる清水は北方2キロにある杉谷・水の権現(温泉熊野神社)から引いた人工の水路です。飲用水にもなっていましたから、水奉行を置くなどして大切に使用されていました。明治維新まで7つの町筋には、総て街路の中央に湧水の水路が設けられていました。今日その名残は、下の丁(したのちょう)の約406メートルの街路に見ることができます。
下の丁には水路の他にも、街路沿いに連続する石垣の塀や幕末から明治初頭に竣工した3棟の武家屋敷(山本邸、篠塚邸、鳥田邸)等が現存しており、その景観は、1977年(昭和52年)に島原市の町並み保存地区(武家屋敷街並み保存地区)に指定され、2003年(平成15年)度に「島原武家屋敷街地区」の名称での都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の大賞を受賞するなど、近年高い評価を得ています。



