多くの教会が点在し”祈りの島”と称される五島の、カトリック教会群を訪問しました。
■巡礼ルート[巡礼地図]
・五島の教会巡礼(有川港→中ノ浦教会)[車ルート🚗]
【五島巡礼手帳】
五島列島には、53ヶ所の巡礼地があります。
新上五島町には、世界遺産の頭ヶ島天主堂をはじめとしたカトリック教会が29箇所あり、"祈りの島"と称されています。
長濱ねるさんの聖地巡礼と併せて教会巡礼もしようと思い、「五島巡礼手帳」(パンフレット付)¥1,200を入手しました。
有川港ターミナル内にある、長崎巡礼センター新上五島町ステーションで入手可能です。
(お休みの時は隣の観光案内所の方に声をかけると、対応してくれるようです。)
観光案内所でも「五島巡礼手帳」(パンフレット無し)¥1,000が入手可能で、コンパクトな方が良いという方はこちらを購入していくそうです。
個人的にはプラス200円でパンフレットと缶バッチが付いてくる方がお得かなと思いましたので、パンフレット付の方にしました。
巡礼手帳に、各教会に設置されているスタンプを押していきます。(スタンプラリーの要領です。)
巡礼手帳に示されている五島の53ヶ所巡礼を達成すると、カトリック長崎大司教区司祭から、巡礼証明書が発行されるそうです。




【頭ヶ島天主堂】
【頭ヶ島天主堂①】
「頭ヶ島天主堂(頭ヶ島の集落)」は、世界文化遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産です。
見学には事前予約が必要なので、ご注意ください!
頭ヶ島は1軒をのぞいて皆キリシタンでした。五島崩れの時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきました。
頭ヶ島教会は五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会ですが、西日本唯一の、また日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れています。島内の石を切り出し、積み上げて建設されました。
1919年(大正8年)に竣工した教会堂で、建設資金が乏しかったため木造ではなく、周辺で採石した砂岩を利用したそうです。
2001年(平成13年)に国の重要文化財に指定されており、ユネスコの世界文化遺産に2018年に登録されました。




【頭ヶ島天主堂②】
天主堂の内部には、たくさんの花模様が使われていました。
頭ヶ島教会近くの白浜は、コバルトブルーで大変美しくて印象的でした。




【旧鯛ノ浦教会】
旧鯛ノ浦教会の、正面入口の鐘棟には、浦上天主堂の被爆レンガが使用されています。
外海の出津から移住して来たキリシタンの子孫にはじまる集落で、五島崩れで迫害を受けました。1880年ブレル神父が赴任して上五島の司牧の拠点となります。1903年建立の教会の老朽化により、1979年、旧教会の下の幼稚園跡地に新教会が建てられました。旧教会は終戦間近、海軍に接収されました。戦後、復員などで手狭になり、1949年に増築しました。このとき、レンガ造の塔が正面につけられました。旧浦上天主堂の被爆レンガを一部使用しています。
新教会が建てられ旧教会は教会として使用されていないため、建物内部の撮影が可能です。




【鯛ノ浦教会】
こちらが、鯛ノ浦教会の新教会です。


【米山教会】
米山教会は、中通島の最北端に位置する教会です。
1903年に聖堂を創建した後、老朽が激しく現在の聖堂は1977年に建立されました。他の五島の信徒と同様に、大村藩外海地区から移住したキリシタン達が信仰を深めました。
「神様に見守られながら安全で楽しい旅ができますようにお祈り致します」という、巡礼者へ向けたメッセージがとても印象的でした。




【仲知教会】
仲知教会は、ステンドグラスの模様が美しい教会です。
現在ある聖堂は、1978年に建立されました。この地域に住む大部分がカトリック信者で、信者達の多額の拠出と労働奉仕により作られた聖堂は、一面のステンドグラスが美しいです。ステンドグラスには聖書の場面が施され、イエスが漁師を弟子とする場面では、当時信者の中心として建設に関わった住民も登場しています。




【赤波江教会】
赤波江教会は、五島灘に面した急斜面の山腹に建つ教会です。
1870年代の赤波江は、戸数わずかなキリシタン集落でしたが、大瀬良宗五郎、赤波江助作、赤波江キタと言う伝道士がいて、周辺のキリシタン集落で活動を行っていました。現在の赤波江教会もわずかな戸数ですが、信者の祈りの場として使用され続けています。




【江袋教会】
江袋教会は、2007年に火災にあうが、大正末期の姿に復元された教会です。
江袋の信徒は、禁教令の高札が撤去された1873年に激しい迫害を受けましたが、1882年にはブレル神父の指導と援助で教会を建てました。2007年に焼損するまで、五島で最古のこうもり天井の木造教会であり、実際にミサ等に使用されている木造教会では国内最古のものでした。全国から支援を受けて復元工事が進められ、2010年5月に完成、献堂式が行われました。




【小瀬良教会】
小瀬良教会は、斜面に民家が点在する集落に建つ小さな教会です。
山城を思わせるような石垣の上に建つ教会です。教会内部は折り上げ式の天井で、小規模な教会でありながらも、入口上には楽廊があります。




【大水教会】
大水教会は、幹線道路から外れ、東シナ海を望む急斜面に建つ教会です。
番岳の北側山腹、東シナ海を望む急斜面に建っています。明治初期の大水は、信仰を守る組織や伝道士の資格を持った信徒のいないキリシタン集落でした。そのため迫害を受けずに済みましたが、カトリックへの信仰復帰が遅れることになりました。赤波江助作、赤波江キタの活躍によって、多くの信徒が洗礼をうけ、カトリックに復帰しました。




【曽根教会】
曽根教会は、東の五島灘、西の東シナ海を望む地に建つ教会です。
1881年に建てられた2代目の教会には、鉄川与助が初めて教会建築に携わっています。現在の教会は1966年に現在地に建立されました。東に有川湾、西には東シナ海を一望できる地にあり、五島灘に昇る朝日、東シナ海に沈む夕日を同じ場所にいながら眺めることができます。




【青砂ヶ浦天主堂】
青砂ヶ浦天主堂は、国指定重要文化財に登録されたレンガ造りの教会です。
2023年12月時点では、金曜日と土日のみ内部観覧が可能でしたので、ご注意ください!
青砂ヶ浦にいつごろからキリシタンが住んだか不明ですが、1878年頃には初代教会があったようです。1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となりました。1910年建立の現教会は、鉄川与助設計施工によるもので、信徒が総出でレンガを運びあげた3代目の教会となり、2001年に国指定重要文化財、2010年に献堂100周年を迎えました。
この天主堂は内外ともに意匠が優れ、日本人の手になる初期煉瓦造キリスト教建築の代表的作品の一つです。






【冷水教会】
冷水教会は、鉄川与助が棟梁となって初めて設計施工を行った教会です。
冷水では五島崩れで迫害を受けた信徒は、逃れて戻ることはなかったそうです。今の冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々であるといいます。1907年にようやく、現在の木造教会が建ちます。近くの丸尾郷出身の鉄川与助が棟梁となって初めて手掛けた教会です。




【丸尾教会】
丸尾教会は、鉄川与助の生誕地に建つ白亜の教会です。
1899年頃まで『家御堂』と呼ばれる信徒集会所があり、礼拝堂を兼ねていました。約20戸の信徒の司牧にあたっていましたが、青砂ヶ浦教会主任大崎八重神父の時、丸尾の丘の上に白亜の教会が建立され、正式な巡回教会として歩み始めました。1972年改築、1975年に青砂ヶ浦小教区から丸尾小教区へ独立しました。




【中ノ浦教会】
小さな入江に立つ中ノ浦教会は、まるで水鏡に写したような対岸からの風景が絵画的で美しい教会です。
ねるちゃんは小さい頃、冬に母親とクリスマスコンサートでこの教会に来ていました。
写真集『ここから』では、白いノースリーブに花柄スカートを着て、教会へ向かって走っていく姿が撮影されています。
冬には母と中ノ浦教会のクリスマスコンサートや桐教会のクリスマスミサに行っていた。くねくねと山を越え向かう車中でも、夜に外出することの珍しさからずっとワクワクしていたのを覚えている。教会に着くと、保育園の友達に会ったりして親同士の前での自分達に少し照れくささを感じたりした。最中は、美しい讃美歌と古い石油ストーブの暖かさが心地よく、いつも少し寝る。終わった後は外で飲み物が配られていて、紙コップ越しでも伝わるくらい熱々のぜんざいを受け取る。待ちきれずすぐに飲むと、案の定舌を火傷した。その日は帰りの車内で、ざらざらとした舌を口の裏でずっと確かめながら帰った。
私の五島百景 長崎新聞(2021年7月7日)



